トルクメニスタンの観光地について
トルクメニスタンは、太古の昔から多くの遊牧民が訪れ、シルクロードの東西南北を結ぶ幹線ルートでした。
中央アジア最大の遺跡であるメルブ、雄大な自然、遊牧民族や交易商人の歴史を今に伝える遺跡の数々、中央アジア独特の色鮮やかなブルーの色使いのモスクなど、歴史、シルクロード好きにはたまらないエリアになっています。
砂漠の中の遺跡にたたずんでいると、大きな歴史の流れを感じることができます。
砂漠の中にあるので痛みが激しいですが、修復作業は行われているようです。
■メルブ遺跡
メルブは、トルクメニスタン共和国のカラクム砂漠の中にある、中央アジア最大の遺跡。
もとはホラーサーン地方の中心都市のひとつで、シルクロードのオアシス都市として栄えました。
キリスト教、イスラム教、ゾロアスター教、仏教が入り混じった地域であり、人口は100万人に達したといわれる。
1999年、世界遺産(文化遺産)に登録される。トルクメニスタン初。
アシハバードからは、飛行機でマリィ市まで飛び、車で移動になります。
砂漠地帯で、移動距離もあるので個人で行くのは結構大変だと思います。
わずかだが、英語の通訳さんがいるようです。
歴史
紀元前6世紀から、アケメネス朝ペルシャの支配下にある一オアシス都市として繁栄し始める。
当時は、「マルギアナ」と呼ばれていた。
「マルギアナ」の遺構は、円形のプランをもち日干レンガの城壁で囲まれた「エルク・カラ」として知られる。
「エルク・カラ」は、12haに達する都市であった。
その後、セレウコス朝時代をへて、前2世紀〜後3世紀のパルティア時代に、「エルク・カラ」を北辺に組み込んだおおむね一辺1.8~9kmの方形に近いプランの「ギャウル・カラ」(「グヤウル・カラ」)が築かれた。
面積は、約3.5km2で、城壁に囲まれ、十字に交差する道路で街区が造られていた。
「ギャウル・カラ」の外側にも、楕円形に近い形に城壁がめぐっていて、内側の城壁から外側の城壁への距離は、北へは3km、東西、南方向へは、3.5kmであり、総面積は、60km2に及んだ。
メルブには、紀元後1世紀頃に仏教が入ってきたと考えられ、当時の仏塔や僧院が残されている。
1962年にソビエト連邦科学アカデミーの調査団が、8.5cmの仏像の座像と土器に入った経文を発見している。
経文は、白樺樹皮にサンスクリット語で書かれていた。
「ギャウル・カラ」は、ササン朝の滅亡する7世紀まで機能していた。
セルジューク朝(1038年〜1194年)時代になると、「ギャウル・カラ」の西に接して概ね楕円形の「スルタン・カラ」が築かれた。
このころ、メルブが最大の栄華を誇ったとされ、数万冊の蔵書があったという図書館が8つあり、天文台も築かれた。「ルバイヤート」で知られる著名な詩人、数学者であったオマル・ハイヤームも、この時期のメルブの天文台主任として活躍した。
また、かっては青タイルで装飾されていたスルタン・サンジャル(位1118〜1157)の廟もこの「スルタン・カラ」のほぼ中央に建てられた。
スルタン・サンジャル廟は、外壁5m、基礎6mという堅牢なもので、後のモンゴル軍の破壊や地震にも奇跡的に耐え抜き、当時の建築技術の高さをうかがわせる。
12世紀末も、ホラズム・シャー朝支配下の重要な都市として繁栄を続けたが、1218年に、チンギス・ハーンの要求を伝えた特使を殺害したため、1221年に、チンギス・ハーンの末子トルイ率いるモンゴル騎馬団が復讐のために攻め込んで、100万人を数えたという住民を皆殺しにした。
その後、メルブの町は廃墟と化し、二度と復興しなかった。
大キズカラは、高さ20m近くあり、かっては2階建てで屋根もあったと考えられているが、現在は1階部分は砂に埋もれ、壁は一部崩壊している。
小ギズカラとともに、「スルタン・カラ」の城壁の外、南西の地点に築かれている。
■ニサの遺跡

トルクメニスタンの首都アシハバードから西、トルクメンバシ方面へおよそ15〜18km、の地点にパルティア王国(中国名「安息国」)発祥の地、ニサの遺跡があります。
ニサの遺跡は11〜12世紀のパルティア帝国の都市遺跡で、 旧ニサと新ニサ(旧市、新市)の2つに区分けされています。
小高い丘の上にあって、 周囲は厚さ10m程の城壁で囲まれています。
旧ニサは5角形の城壁が取り囲む内城で、 王宮、庭園、 ゾロアスター教の神殿、ワイン醸造所などがあります。
旧ニサの「王の倉庫」と呼ばれる部分からは神像や土偶が発見され、 中でもニサのヴィーナス像や象牙のリュトンは有名で、出土品は国立博物館に保存され展示されています。
遺跡は掘りつくされてはいないようなので、まだまだ貴重な出土品が出てくるかもしれません。
このニサの遺跡は、誰も管理をしておらず、砂漠にぽつーんとあります。
チケット販売やパンフレットも売店も何もありませんのでお気をつけて。

ちょっと手で掘り起こしてみると・・・。
まだまだ出てきます
■絨毯博物館
トルクメニスタンは世界的に名高いブハラ織絨毯の生産地です。
ブハラ織といわれるのはアシュハバード産の絨毯がもっぱらウズベキスタンのブハラの市場で取引されたためといわれ、非常に高品質で有名。
絨毯博物館にはおよそ10万枚の絨毯のコレクションが保管されています。
1階には絨毯のほかに絨毯を材料とした遊牧民の生活用品や絨毯造りの工具、自然の染料などが展示されています。
ニヤゾフ大統領のお母さんをモチーフにした絨毯などもあります。
2階では横幅18m縦10.7m、重さ865キロの世界一大きい手織り絨毯「トルクメンの心」があります。
この絨毯は1941年〜42年の戦時中に戦時中に織ったものだそうです。
(ちなみにトルクメニスタンには「水はトルクメン人の命、絨毯はトルクメン人の心」ということわざがあります。)
3階には古い絨毯や遊牧民のユルタ(パオ=テント)が展示されています。各部族により絨毯の文様に特徴的があり、この博物館では展示もそうたした各部族の特徴を分類して展示しています。
博物館の中では実際に女性職人が絨毯を織っており、ちょっとだけ体験させてもらいました。
絨毯博物館には、ギネスブックにも載っている世界最大の絨毯もあります。
2000年に作られ、大きさは21メートル×14メートル、重さ1200キロ、40人の女性が8ヶ月(2月9日〜10月10日)かけて作られました。
絨毯の中央部には大統領旗が織り込まれ、下部には「21世紀はトルクメン人にとって黄金の世紀になるだろう」と書かれています。
5月最終日曜日は絨毯の日、トルクメニスタンではいかに絨毯が特別なものかわかりますね。

これが世界一の絨毯。でかすぎです。

絨毯の手織りを体験させてもらいましたが、何がなんだかわかりませんでした。手に持っている道具は刃物で、手で編みこみ、糸をカットしながら進んでいきます。
■トルクメンバシ国立博物館
旧ソ連時代のトルクメニスタン歴史博物館で、1998年郊外に移転され巨大な総合博物館となりました。
トルクメンバシ国立博物館の見どころはアシハバッド郊外にあるニサ遺跡、アナウ遺跡やマルィ市郊外のメルブ遺跡から発掘された貴重な出土品です。
中でも大理石のビーナスや怪獣女神がついた象牙のリュトン(飲器)はゾロアスター教の儀式に用いられたといわれています。
また、メルブ出土の仏像と経文の入った壷などは有名です。
他にも古代の服装やアクセサリーなどの出土品も数多く展示されています。
ニヤゾフ大統領のパイプなど愛用品の展示や、現代のトルクメニスタンについてもいろいろと紹介されています。
意外にもテコンドー(韓国の武道)が普及しているようで、いくつものメダルが飾ってありました。
英語の音声ガイドを借りることができます。
■キョネ・ウルゲンチ
キョネ・ウルゲンチはウズベキスタンとの国境に近いアム・ダリア(川)に程近い小さな町にあります。
ウズベキスタン側にウルゲンチという街があり、キョネとは「古い」という意味ですので、ここは「古いウルゲンチ」ということです。。
この町の歴史はとても古く、11世紀から13世紀の遺跡で有名です。
2005年には世界遺産にも登録されました。
ここでの一番の見ものはなんといっても中央アジアで一番高いクトュルグ・ティムールのミナレットです。
高さは64メートルもあり、当時の建築技術の高さがうかがえます。
ミナレットというのは、礼拝の時間を知らせる塔のことです。
16世紀の地震で先端が折れてしまいましたが、それでも十分高いですね。
トレベク・ハニム廟の丸屋根の内側には、その模様で暦をあらわしているなど当時の文明の高さをうかがい知ることができます。
この場所は「クフナ・ウルゲンチ」「クニャ・ウルゲンチ」とも書かれていますが、「キューネー・ウルゲンチー」と聞こえました。」

ホラズム王国黄金期の王だったスルタンテケシュの廟。

中央アジアで一番高いクトュルグ・ティムールのミナレットです。

イル・アルスランの廟(スルタンテケシュのお父さん)。
ちょっとゆがんでいます。

これはドームの内側ですが、窓の位置と模様によって暦がわかるというすごい仕掛け(白い線が365本あるとのこと)。
■コヴ・アタ(コウ・アタ)
首都アシュガバッドから約70〜80km(101kmとも)にあるコヴ・アタ湖は、水源もわからない「神秘の湖」。
砂漠の中の岩山の一角にコヴ・アタ(コウ・アタ)はあります。
コウが「湖」、アタが「父」という意味だそうです。
洞窟の奥行きは220m、温泉の奥行きだけでも地下約60m〜70mという深い洞窟の中にある地底湖です。
湖というより、温泉です。
薄暗い階段を下りていくと、暗闇の中に温泉が現れます。
コヴ・アタ(コウ・アタ)の水温は通年約38℃が保たれ、数多くのミネラルが含まれているとのこと。
トルクメニスタンの地方からも観光や湯治のためにこの地を訪れます。
簡単なつくりですが、着替え場所もあります。
温泉の水深は最深16m、もちろん岩肌に腰掛けてつかることもできますがぬるいので温水プールで泳ぐといった雰囲気です。
この温泉がどこまで続くのか、どこから来ているのか現地の人もわからないといっていました。
コバルトブルーに光ると聞いていましたが、そのような感じは受けませんでしたが、とても神秘的な温泉でした。

コウアタです。
白いところから入っていきます。

コウアタの岩山からの景色。
まわりには何もありません。

この階段を下りてコウアタの温泉へ向かいます。
■日本人シベリア抑留者慰霊碑
観光地ではありませんが、ご紹介しておきます。
おそらく最西地のシベリア抑留者慰霊碑なのではないでしょうか。
場所はトルクメンバーシ市の空港付近。
「こんなところまで・・・」と砂漠の真ん中でとても考えさせられました。

シベリア抑留者慰霊碑。
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